Sakura & Clay
Timeless Beauty in Form
Sakura & Clay: The Store Name
伝統と時を超えた美が出会う場所、Sakura & Clay。ここは単なるブティックではなく、日本の古き工芸の旅路です。歴史と優雅さ、文化への敬意が息づく品々に触れながら、桜の美しさと粘土の力強さにインスパイアされた世界をご堪能ください。
About "Sakura"
私どもの店名に使用している、日本を象徴する桜、そして「言霊」についてお伝えしたいと思います。
さて、桜が日本を象徴するものであることは、近年のSNSやYouTubeの普及により、満開の桜の下でお花見を楽しむ日本の文化とともに、世界中に広く知られるようになりました。しかし、Cherry Blossomがなぜ「Sakura」と呼ばれるようになったのかについては、日本人でさえ知る人は少ないのが現状です。なぜ「さくら」と呼ばれるようになったのでしょうか。
古くから、日本人は幸せを「幸(Sachi)」と表現してきました。だからこそ、桜の「さ(Sa)」は「幸」を表しているのです。古来、日本人は幸せをもたらす神様が山にいると考えていました。現在でも山の上に神様を祀っている場所が多くあるのは、その名残です。
その神様が春になると山から里に降りてきて、秋の収穫まで里にとどまってくださると考えられていました。この神様のことを「さ(Sa)」の神と呼びました。そして、この「さの神」が山から里に降りてくることを知らせてくれるのが、桜だったのです。
「さ(Sa)」の神が
「来る(Kuru)」
これが「さくら(Sakura)」の由来です。
桜が咲くことは、すなわち「さの神」が里に降りてきたことを意味していました。そして、幸せを運ぶ「さの神」が降りてきたことを喜ぶ行事こそが、お花見なのです。お花見はもともと神事であり、「さの神」が里に降りてきてくださったことへの感謝や、これから受け取るであろう収穫の恵みに対する感謝を捧げるための儀式でした。
未来の姿を先に喜び、祝うことで現実を引き寄せることを「予祝(よしゅく)」と言います。豊作や多産を祈り、一年の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事として、農耕儀礼の一つとしての予祝行事が古くから多く行われてきました。
また、「さ(Sa)」は「さっさ」、「早速」、「颯爽」など、素早い動きを意味する言霊でもあります。実はこれが、桜の花がなぜあんなにも早く散るのかに繋がっているのです。「さの神」はみんなに分けるために持ってきた幸を、一旦桜の花びらに閉じ込めました。そのため、桜の花びら一枚一枚には幸せがぎゅっと詰まっていると日本人は考えました。
そして、その幸せは桜が散ることで一斉に周囲に振りまかれます。みんなに幸せを届けるために、桜は早く散る必要があったのです。
このように、一つひとつの音に日本人は固有の力とエネルギーを感じ、それを「言霊」と呼びます。辞書で「言霊」を紐解くと、以下のように定義されています。
「古代日本で、言葉に宿ると信じられていた不思議な力。発した言葉通りの結果を表す力があるとされた。」
このように表現されていますが、言葉には不思議な力が宿っているのです。そして、桜の言霊のように、私どもSakura & Clayが目指すのは、選りすぐりの日本商品をご紹介することを通じて、お客様に幸せをお届けすることなのです。
About "Clay"
「Sakura and Clay」の“Clay”には、日本の深い文化的遺産への敬意が込められています。それは、世界で最も古い陶芸の時代のひとつである縄文時代(紀元前14,000年~紀元前300年)に遡ります。縄文時代の職人たちは、自然や精神性との深い結びつきを感じさせる、独自の美意識を持った縄目文様や複雑なデザインの陶器を手がけていました。
私たちにとって“Clay”は、この古代の芸術への敬意を象徴しています。縄文土器は単なる実用品ではなく、表現や儀式、そして人々とのつながりの媒体でもありました。手作業で作られる過程は、土と火の持つ自然の美しさを映し出し、生の粘土を機能的かつ象徴的な存在へと変えていきました。これらの器は、日常の儀式や祝いごと、埋葬にも使われ、自然と人間の永遠の結びつきを思い起こさせるものでした。
「Sakura and Clay」というブランド名を選んだ理由には、古代日本の職人技と現代の洗練された陶芸を結びつけたいという思いが込められています。この名前は、物語や記憶、歴史を秘めた粘土への敬意を表しており、私たちが創り出すすべての作品に過去と現在を紡ぎ合わせます。かつて縄文土器が人々の心を映し出したように、私たちの作品も日本の美しさ、伝統、そして本物の魅力を現代生活に届けます。お客様一人ひとりに、伝統と芸術、そして日本の職人技の永遠の精神とのつながりを感じていただけることを願っています。